2016年07月30日

生活YOGA・瞑想LIFE いつでもどこででも

当ブログを訪ねてくださったあなた様、
ありがとうございます。

はじめての方も、いつも訪ねてくださる方も、
この一見、とても地味で、難解(かもしれない)
記事をお読みくださること、
心開いて、わたくしどもの伝えたいことに対して
向き合ってくださること
その智慧とご慈悲に、いつも感謝しております。

さて、このたびは、少し物質次元のことに寄り添って
みたいと思います。

当教室では、瞑想ヨーガや、瞑想を通して、
(最終的には)覚醒を目指すため、自己を探究し調えて
いくことをお手伝いさせていただいております。

生活そのものを瞑想的に変容させる「生活ヨガ」も
その大きな柱の一つです。

瞑想LIFE。

師や仲間と作務をご一緒することは
そのための、大きな学び、気づき、成長のチャンスとなります。
(基本は、一人です。ご自身の生活そのものが
 素晴らしい学びの場です)

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(高らかな智慧をお持ちながら、全体を包みこむように
 いつも謙虚にあってくださるサンガ。
 全き純粋性でいつも作務に向き合っておられます。
 尊謝)


先日は、森の教室のお庭の雑草を抜かせていただく
という作務をご一緒させていただきました。

どれが抜かせていただく草なのか、
どれは残しておくのか、
昔、「花ごみゼロ」のお花屋さんをされていたこともあり、
植物を愛する(お詳しい)小峰先生に教えていただき
調えていきます。

印象的だったのが
既に、穂(種)をつけた草についてのご説明でした。

『この草は、残しておくと、種が飛び、また増えてしまいます。
 それはご近所にも飛んでいきますから、
 抜かせていただきます。実をつけていらっしゃるのに
 申し訳ないことですが』
 
DSC_0083.JPG

お恥ずかしながら
わたくしは、我が教室のお庭のことしか意識しておらず
種が風にのって広がること、お隣のお庭への影響まで
師のように意識を拡げておりませんでした。
(智慧ある方は、いつも、どんなことにも
 因果を見出しておられるのです)

そして、その草が、子孫を残そうとしていることに
対する慈悲。殺生するということ。

(また、在り方は、姿にも表れますね。
 わたくしが立ったまま、
 片手で草を抜こうとするのとは違い、
 小峰先生は大地にひざまづき、
 両手で優しく草に手を添えられる。
 その所作が、なんとも美しいのです。)


ほかにも、
あちこちに生えているまた別の草について
どういたしましょうか、とお聞きしたとき、

『これは、春先にとてもかわいらしいお花をつけて
 (わたくしたちの目を楽しませて)くださるのです。
 でも、とても繁殖するのも事実ですので、
 中庸に抜かせていただきましょう。
 たとえば、通り道にあり、生徒様が
 ズボンのすそをその露で濡らしてしまう場所などは。』


もう、長いこと、先生とご一緒させていただき、
先生の在り方を学んでいるわたくしですが、
この日は、改めて、
師の在り方「100%、自・他のため、そして中庸」な
智慧に、感銘を受けた次第です。

ああ、やはり、悟られた方というのは
わたくしたち衆生とは異なり
このように無意識の「自己都合」から、
完全に解放されているのだ、と。


そしてこれは、植物に対してだけではなく、
一事が万事、師は、このように在っておいでです。

人間(生徒様、お弟子様、肉親、パートナー、
  ご近所の方、お店の方、・・・)に対しても、
無機のモノに対しても、
目に見えぬもの(空気、微生物、宇宙人?・・・)に対しても、
何の例外もなく、一切の平等、慈悲を貫かれています。

もうそれは、ごく自然に、当たり前に。


そんな、真にリラックスし、
愛と慈悲に充ちた師の後ろ姿から

「なんと、わたくしたちは不自由なのか、
 もっと、わたくしたちは、自由になれるし、開放できるのだ、
 それはいわゆる世間的なベクトルとは真逆の方向で」

という、言葉なきメッセージを受け取るのです。


小峰先生は、そうして、「当たり前の生活」を
変容させていくこと、そのことによって、
本当に自己を赦し解放し、
悟りに向かっていくことができるという真理を
身をもって伝え続けてきてくださっております。

・・・
このように、真理への道筋には
文字だけでは、伝えられぬことが、たくさんございます。
(実際、本当のことは、言葉では伝えられません)


このブログや、各所に置かせていただいている
教室ご案内をお読みになり、
何か直観で感じられた方は、ぜひその直観を大切にされ
当教室をお訪ねくださいませ。


空を知り、慈悲に充ちた師、
純粋なサンガが、執着なくいつもお迎えし、
あなた様(というわたくし)が
悟っていくことを、
悦びでご一緒させていただいております。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。


慈悲 繋がり ワンネス 解放
愛と慈しみのspiritual 瞑想ヨガ
LOVE Forest アシスタントサンガ K



2014年11月27日

大掃除の季節ですね。お掃除は自他への美しき奉仕

みなさま、本日もお立ち寄りくださり、
誠にありがとうございます。
師走へと向かうこの時期、「大掃除」の声がチラホラ。

当教室では、11月頃から、少しずつ、
いつもよりも、より丁寧に、目や手の届きにくいところを
お掃除し始めます。

常にサムサンガさまのご努力で、
ピカピカに保たれているので、
「見過ごされた淀み」「積年の汚れ」などは
一切見当たらない教室であるとはいえ、
一見、問題ないようにみえる場所でも、
よく見ると、ホコリがたまっていたり、
うっすらと澱がたまっていたり、ということは当然あります。

幸いにも、全ては無常でありますから。

それらを心得て、サムサンガは微細心を働かせます。

そして、ただ床や壁に雑巾をかけるという時も、
教室というわたくしのために、壁というわたくしのために、
また、お集まりくださる(稀有な^^)生徒様が精進される場ですから
清潔に美しく、さらに、お一人お一人深まり高まっていただけるように
と祈り、心身を使わせていただくのです。

「次にはあれをしなければならない」、
「その次にはこれをしなければならない」など
くるくる回転する心、日々の生活のせわしさから離れ、
ただただ、目の前のことに心ひとつで集中させていただく。
その、なんと贅沢な時間でしょう。

また、お掃除とは、「対象と一つになる」ことが、
ほかの行為よりも、少したやすいともいえるかもしれません。

そうして体を動かしているうちに、
見落としていた汚れ、見逃していたパーツ、
見たくないと目をそらしていた淀みに、
光を当て、風を通し、清々しく浄めていく行為、
無意識に、掃除すべき部分とそうでない部分を
区別していたことを止め、全てを平等に浄めることに集中したとき、
それは、自らの内側を浄めていくこと、自らを愛し慈しむことと、
どうやら同じことのようだ、ということも
実感としてわかってまいります。
(常に実践ありき、です。)


さて、そのように清らかな心で磨き上げても、
当教室のように、状態がキープされている場合、
お掃除前と、お掃除後、眼識ではほとんど変化がありません。
しかし、わたくしたちの spirit は敏感に、
違いを捉えることができるようです。
とてもすがすがしい、氣がそこに流れるのです。
波動が変わるともいえるでしょうか。
(特に、小峰先生は敏感に察知され、
 いつもより念入りにお掃除させていただいた時など
 お掃除後に入ってこられたにも関わらず
 その部分に言及され、驚くことが何度もあります。)



これは、教室の中だけでなくとも、
どこでも実践できることですね。
もし、あなた様が、たくさんの予定を生活に入れ、
忙しくされているのなら、その行為を一つ手放して、
もしくは、PCやスマートフォンと向かいあう時間を
手放して、お掃除にゆっくりと向かう、ということにかえて
いかれるとよいかと思います。

そこに、外側の回転では得られない豊かさと落ち着き、悦び、
真理への筋道がある、と気づかれることでしょう。


場を浄め、流すことで、ご自身も、ご家族も、
そこを訪れる方も、全体が心地よく波動が高まっていく、
なんとも清々しい、善循環が生まれていきますね^^


皆さまも、一歩、一歩。
ヴィパッサナー瞑想しながらの小掃除・大掃除。
心も体も空間も浄めることができる、大変に合理的な行為です。
それぞれの場所で、心でご一緒いたしましょう。


長文、お読みくださり、誠にありがとうございました。
皆さま(わたくし)が、ご自身に留まり深まっていかれますように。

お風邪などひかれませんよう、暖かくしてお過ごしくださいね。

慈悲慈愛・心身浄化、悦び
瞑想&瞑想ヨガ教室 LOVEForest
アシスタントサンガ 元


美しきサム_1美しきサム_2

(写真:美しきお掃除サムの風景です。
 このように、お掃除に使わせていただいた道具も、
 お手洗いのスリッパの裏も、すべてを全く平等に慈しみ深く扱い、清める。
 恥ずかしながら、わたくしは、当教室に通うまで
 そういった意識が抜け落ちておりました…)

2014年10月02日

(編)自己の開放が善循環を生む

*文末にお写真追加しております。



かつてのわたくしへ・・・


とてもまじめで、とてもまっすぐなあなた。
例えば、教室を清潔に、美しく整えるのが私の使命!
と一途にまっすぐに。
師の言われたとおり、それにならい、
素晴らしく忠実に遂行する。

だけど、それだから、想定外のこと・前例のないことが起きると
混乱してしまうのですよね。
また、何かを改善点を指摘されると、途端に萎縮してしまう。
(人の手に触れられたオジギソウのように。)



どうして、それをするのか。

何のためにそうするのか。


(教室の外に一歩出れば、世間に“合わせる”ことが
 どうしても出てくるけれど)
少なくとも、この教室内の事柄に限れば、
自他への慈悲に集中していればよいのです。


自他が成長するためには、
今ここで何を選択すればよいか、だけを考える。


例えば、仲間に対して、いじわるなお姑さんが、
障子の桟のほこりをスッと指でなぞって言うような^^、
そんな指摘をしなければならない場面でも、

・教室に集われる方が、気持ちよく、
 自己を調えることに集中できる場を創ること

・作務をされる皆さまが、さらに「すべてを平等に観る」
 「サティ(気づき)を途絶えさせない」在り方へと
  高まっていくためのステップを提供する


それだけが目的ですから、何も恐れることがないのです。

(今でも、わたくしたちは、師から指摘されることは
 ありますが、「ああ、そんなところを見逃していたとは!」
 とびっくりした後に、「概念」の存在に気づかせていただいた、
 目の覚めるような悦びがあります、ね。)


ここでは、年齢や、性別、属性は関係ありません。
集われる仲間が目指すものは、一つであるからです。


「失敗してはいけない」、「間違ってはいけない」、
そのような恐れ(エゴ)が先に立てば、この目的があやふやになり、
それがズレを生んでしまいます。

また、「無常」を観ることに目をつぶり、
(怖れから)固まろうとする
(思考停止して前例をなぞろうとする、真似て安心しようとする)、
エゴがあれば、この目的があやふやになり、
それがズレを生んでしまいます。


自他のために、自己を明け渡す。

徹底的な謙虚さと、自他を赦しているが故の自信をもって。
それは突き詰めれば、ワンネスの本当の理解。

それだけです。

それだけのことで、わたくしも、周囲も(当然ながら師も)
キラキラと光り輝いていく、その善循環。
シンプルで、爽やかで、明るい。

なんと気持ちのよい流れでしょう。


その実践が可能な、誠に安全で守られた場があること、
その場を創り維持してくださり見守り続けてくださる師に、
それらすべてを生み出した自分自身に心より感謝、ですね。


がんばリラックスで、まいりましょう^^

かつての、そしていまの、あすの
愛するわたくしへ。



***

このたびも、アシスタントからお届けいたしました。
みなさま、お読みくださり、ありがとうございました。


慈悲慈愛・ワンネス、平常心
アシスタントサンガ




IMGP1886.JPG
IMGP1885.JPG

(写真:心、の前に、まずは自己の肉体を
 “使いきる”ということを実践してみる。実感してみる。
 その一歩として、当教室では、ヨーガのプロセスの中で  
 指と指の間をしっかりと開くということに意識を向けてゆきます。
 特に身体的な問題がなくても、
 無意識の甘えや習慣が、指を開ききるということさえ、
 自己に達成させないことは、よくあります。
 まずはそこに気づくことからスタートです。
 
 毎週、お忙しい生活の中、必ず時間を作り瞑想ヨーガに
 通ってくださるみゆきさん。
 しっかりとした指の開き方は、甘えを許さず、高みに向かわれんとする
 強い意志の現われ。 教室内でも、繊細なサティで、
 さりげなくサポートしてくださる方。
 みゆきさんの素晴らしい智慧・純粋性に感謝。)


energy.JPG

(写真追加:珍しく、アーサナ繋がりでお届けいたします。
      湿度低く、気温低すぎず、皮膚感覚には心地よい季節です。
      伸び伸びと肉体そして心、呼吸、調えて差し上げてくださいね。
      
      この写真はエネルギーのアーサナ。
      人差し指と親指で、角のしっかりある正三角形を形作ります。
      ・・・またこれが!結構、意識しないと鋭角が作れないということ
       実践してくださった方にはお分かりになるはず・・・
      この直線が作る鋭角で、自己に対する厳しさを表現し、
      また、その三点を結び取り囲む、眼識では捉えられない真円に、
      自己の本質・無限に広がってゆく慈悲、本来は空、を見ます。
      
      そう、まだまだ、まだまだ、自己の肉体・心には
      見逃している・見落としている部分がたくさんございます。
      ということは、自分の意識一つで、自分次第で、
      確実に調えていくことができるということ。 
      その余地に悦びがあります。
      外側にかまけているヒマはありません!^^)
    

2014年09月18日

秋からはじめる大掃除・内も外もきよらかに

みなさま こんばんは
このたびも、ここまでお越しくださり、
誠にありがとうございます。
アシスタントからお届けしております。

こちら愛知県は「秋」と迷いなく申し上げることのできる
気候となってまいりました。

当ブログには、ご覧のとおり、
宇宙とか波動とか、光とか、
愛や悟り、空性、真理、といった言葉が、常々並んでおります。
spiritual な言葉遣いに慣れていらっしゃらない方には
けむに巻かれるような疎外感、違和感、疑い、
などが先に立ってしまわれること、
申し訳なく残念に思います。

しかしそれは、言葉の虚しさを知りながらも、
この“おもちゃ箱をひっくり返したような”三次元で
それを超えた核の部分について、真摯に伝えたい、
そうでなければこのブログを続ける意味はない、
その思いが結晶したものであるのです。
全てを掬い(救い)、カバーしきれない三次元、
どうかお互いを赦しあう、やわらいだ感覚で
受けとめていただければ幸いです。



さて、当教室では、複数のサンガ(仲間)が、
自己修養のために、サム(作務)にいそしんでおります。
それぞれの立場や階梯、生活環境に適した形での参加の仕方ですが、
このサムの基本となっているのが、「お掃除」でございます。
禅寺などでも、同様ですね。

秋風のふく9〜10月にもなりますと、
我々は大掃除モードに入ります。
年末に一気に済ませるのでなく、
数ヶ月かけて、少しずつ、隅々まで丁寧に浄めていくのです。


普段から完璧に近く、お掃除をしておりますので、
実はピカピカなのですが、それでも、
諸行無常、ほこりはどこにも平等に積み重なってゆきます。
目にみえぬくすみなどもあるようで、
壁なども拭き掃除をすると、確実にスッキリと変化します。

教室でサムに入っている間だけでも、
我々は、時間に追われることなく(反面、時間はしっかり守ります)、
せかされることなく、焦ることなく、
落ち着いて、自己と向き合い、丁寧に作業をしていきます。
師から、繰り返し繰り返し伝えられてきた
「目・耳・皮膚・舌…自己が対象に触れたら、
 触れたものを自己(もしくは自己の延長)とみる」。
そのことをできるだけ全てに乗せながら行っていきます。
手に触れる雑巾、雑巾をすすぐバケツの水、
いざ拭かんとする棚・壁・引き出し・ドアの蝶番、便器の裏側、
天井に這う小さな蜘蛛・・・、
とめどなく現われる事象・事象・事象・・・
それらはすべて「わたくし」である、と。

そのように、対象と一つになりながら
集中していることを続けていると、あるとき、
どうやら、こうしてサムをさせていただくことは
内側を見つめることと同一だ、と気づいてまいります。
それはそこにある「静寂」「豊かさ」
に気づいていくことでもあります。


・・・
食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋、芸術の秋。
最近はイベントの秋、というのも入るかもしれません。

わたくしたちは、そのようにして外側のもの、
「食べ物」を、「知識」「情報」を、「競争」を、
「富」を「名声」を、「神」「仏」を、
(この時代なら、「宇宙人」や「UFO」なども^^?)
追い求めてきました。
いや、追い求め続けています。

ハードワークでただでさえ疲労困憊の毎日のなか、
何かを取り戻さねばならぬかのように、さらに用事を作り、
活動をし、知識を取り入れ、ネットワークを広げ・・・、
もしくは疲れきった肉体が何もできない状態で
テレビを見続ける、そんな時を過ごし・・・
自覚のない強迫観念に囚われながら回転し続ける。


しかし、本来の豊かさは、自らの内側にしかない、ということを
智慧ある自分自身は知っています。
それは、瞑想することで、
また、前述したように、
例えば、落ち着いて真剣にお掃除することで、
確実に思い出していくことができます。

勇気を持って、一旦立ち止まること。
行為をとめること。
そうしてようやく到達できる、落ち着いた余裕のある状態を作り
「内側に向いていくこと」。
それは一見、無為で、無意味で、非生産的なものです。
しかし、「無」であることの豊かさは、
実践することで必ず理解できていくものです。
(全て矛盾^^)


当教室は一歩踏み入れれば、サンガにより隅々まで掃除された
すがすがしさがどなたにも伝わるような、そんな場です。
眼識というよりも、皮膚感覚かもしれません。
(自画自賛でなく、これまでに足を運んでくださった
 何百人の方々の反応からわかることです)

そのような場に身を置いてみることだけでも、
何か、当教室に足を運んでくださった皆様の気づきに繋がると、
わたくし達も自負しております。


深まる秋、どうぞ、当教室においでください。
暑すぎもせず、寒すぎもせず、瞑想するにはとてもよい季節です。
サンガ一同、静かな悦びで、お待ちしております。


慈悲慈愛・深まりと広がり
アシスタントサンガ


愛知県・名古屋市
瞑想&瞑想ヨガ教室 LOVEForest
気づきの瞑想・慈悲・マインドフルネス


拭き掃除サム.JPG

(写真:夏の間、レッスン受ける皆様の素足の足の裏、ポーズによっては
    額、てのひら、支え続けてくださったカーペットを
    感謝とともに固く絞った雑巾で拭ききよめてくださっております。
    小峰師、幸子サンガに感謝。)


2012年09月10日

どこまでも深まる仲間。本気で次元超えた絆。

弥夏先生

本日もお疲れさまでございます。
ブログ更新ありがとうございます。

さて、先日、Sさんと半日サムご一緒させていただき、
個性の違いというものを事実として感じました。

ああ、こんなことに(心が)ひっかかってしまわれるのだ

ああ、
(無意識に)防衛の言葉を繰り返してしまわれるのだ

など…。

言葉を浪費することで周囲の時間(意識)を侵食
していることに気づかれ、静かに口を閉ざし平常心
という静寂の中、自らを差し出し明け渡せば満たされる、
平安なる善循環が生まれることを…その絶対的な安心
と悦び、感謝を…、Sさんに(一人でも多くの方に)
知っていただきたいと思いました。

大丈夫です。

サムを通して先生に導いていただけるというこの
素晴らしいチャンスを生かして、Sさんは進化されて
いきますね。

明け渡しは、一見、“盲従”にみえるかもしれません。
(ブログを初めて読まれた方には、強い違和感を
もたれる場合もあります。)

三次元世界には、そうして自らのエゴを肥大化させて
いった、残念な例があとをたちませんから、不安に
なるのは仕方ないと思います。


わたくしから言えるのは、上記のようなそういった意味
でも、ブッダの教えをベースに、徹底的に無常と虚空を
理解された小峰先生のもとであれば、“安全”である
ということです。


師は自らでしかなく、小峰先生という存在は自らの延長
・投影である、すべてはワンネス、虚空、無常である
ということ。(つまりオ○ムでいう“尊師−弟子”の
ような依存関係は成り立たない)
そのことを、一貫し揺るぎなく伝え実践で示して
おられるのが、そのひとつの証です。

わたくしたちが例えば小峰先生に対し、(世間的
にみれば)かなり丁寧な言葉使いをするのは 、
わたくし自身を丁寧に扱っている、ということなの
ですよね。 小峰(先生)という分離した存在を、
妄信し崇め奉っているのではなく、外側にみている自分
自身を尊重し慈しんでいるというシンプルな行い
なのですよね…。
つまり小峰先生という幻想を自らを調えるために
利用させていただいているだけという。

また、現世的にも、徹底的に丁寧語を身につけることで、
お仕事や人間関係に生かすことができますから、
若い方にも是非オススメいたします(^^)

わたくしはオ○ム真理教事件を他人事とは思えず
(一歩間違えれば、“善意”の素晴らしき人々、“思考
停止”をしてしまっているわたくしたち日本人は、
オ○ムと同じ過ちを繰り返してしまうだろう、という
こと)、自分のこととして考え続けてきましたから、
そう外れてはいないはずです。

従来の枠組みから軽やかに解放され、言葉や表現の
浅はかさに惑わされず、“刺激”に身を委ねず、深奥に
あるものを求める方であれば伝わると思います。

入口で抱いた疑問・不安だけで回れ右されず、慎重さを
保ちつつ少し前に進んでいただければ、
おわかりになるとは思うのですが…。

ただ、いつも先生がおっしゃるように、これも言葉の
世界ですね。いまこうして文章にしながら、言葉を尽くす
ほど、離れていくなぁーという矛盾を実感してもおります…。
また選択は様々ですから後追いする必要も全くなく。



わたくしも、もちろん、今まで先生に色々と哀しい思いを
させております。

はじめは、言葉(意識)の使い方、その後は、東北旅での
残念なこと、それにまつわり弟子から一生徒にしてほしい
とお願いしたこと…、いま思えば冷や汗ものですが、
本当に申し訳ありませんでした。

そうして、どんな愚かなわたくしも見捨てぬ先生の深い
寛容、忍耐に救われながら、わたくしたちは進化
させていただいておりますね。

皆さまを代表しお礼申し上げます。

長々と失礼いたしました。
お読みくださりありがとうございました。

ブログ記事に触発され、お便りさせていただきました。
では、本日も皆さまのためにありがとうございます。

慈悲慈愛・ワンネス
由紀子

・・・・・
(小峰)本当にありがとうございます。誠に深淵なる理解が
進まれた由紀子さんに感謝申し上げます。また、それを
このように表現できることが素晴らしいです。

分離をどうぞ、利用下さい。とわたくしはわたくしの人生を
皆様に明け渡しております。そう、世間とは逆のやり方で。
わたくしが皆様お弟子様にチャレンジさせている事は、その
お弟子様が理解できなかった時、外の世界で、あの教室は
ああだこうだと、家族や友人に誤解されることであること、
そのスーパーハイリスクをもちろん分かっています。
(先日のブログを書くこと、またこのブログを更新することも
今はSさんのため。教室維持へのリスクの大きさは
分かっています。
わたくしは常に今、を終わらせることにチャレンジします。)

"サムを通して先生に導いていただけるというこの
素晴らしいチャンス"
それはそうなるかどうかは、本人次第です。わたくしには
無理強いというところがないところでは全くないですから。
しかし、理解できモノにした時、そのお弟子様が3次元社会
でも当然愛され受け入れやすい者になるのです。
(または、深く愛されつつほかっておいてもらいやすくなる
とも言いましょうか^^)           
生の世界、その後の世界、どちらでも通用するような者に
なってほしいからこそ、いまどきの親が、
また、肉体の親がやらないことをやるしかないのです。
ですから、自然と、いつまでも意識が
親に依存している人に対しては、その親が取らないような
対応を敢えてすることが多いですね。必然的にいただく役柄
です。ご両親と同じか、さらにはご両親が味わうことを避けた、
それ以上の辛さがあることもあります。しかし、それは、
相手がそれに耐えられるな、と御心のどこか奥でわたくしが
直感できた時のみやっていると思います、本気になっても
伝わらない方には、いつまでも、わたくしも本気にはなりません。
必ず、真摯ではあっても。
つまり、どこまで行っても、1人ひとり、対応です。
尽くし切った時、やり切った時、癒しはその人に起こります。
世間が売り物にしている癒しと、本当の魂からの救済・平安
は真逆なのです。何百回でもお弟子様はふいにわたくしを
疑うでしょう。なぜなら、わたくしが与えるのはまず、その方が
今生では“経験したことがない世界”ですから。
しかも“ものすごく普通”のこと。
それもその方それぞれに対し、準備するのです。常に直感が。
それが何を意味しているか、
半年後、、10年後、、来世でも良いと思います、
本当に分かる時がきっと来るでしょう。でも、本気でなければ
本気にはなりませんから、分からないでしょう。
わたくしを本気にするまでに3年5年かかるかもしれませんね。

しかしわたくしは、貴女。あなた自身の微細さ。
ご自身への慈しみ・愛が本物かどうか、また、お弟子様の
場合はその延長としての皆様を本当に導きたいか、だけ。

sという光、由紀子という光、、、また
すべて皆様を、すべてと共に愛しております。

2012年09月08日

瞑想・瞑想ライフとは 23


梅木さん・す.jpg

本日は皆様が一切を調えるために維持しているつるまいひかり
での、一枚の写真を載せました。
皆様にはちょっと懐かしきあたたかな由佳さんもいます。^^
10月27日夕方、このつるまいひかりでコンサート。
陸前高田出身、梅木さん。
コンサート前、3週間ほどか、モンゴルにて修行して来てくださいます。
ありがたき。
東北育ち梅木宇宙様とのやりとり一部を。。。

小峰先生 サンガ皆様

こんばんは。梅木です。陸前高田市米崎中学校の
仮設住宅集会場 の慰問ライブを終えて、先ほど松戸の
自宅へ戻りました
ライブチラシを作成下さり、そして ファックスと郵便
両方にてありがとうございました。。。
連日の演奏と長距離移動の
過労にて、本日・夕方まで寝込んでしまい、、、
明日、埼玉で結婚式の演奏がありまして、それが終わり
ましたら、早めにご連絡させて頂きます。
申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。

(弥)
被災地、ご実家にて、皆の在り方自分の在り方、様々に深く、
深く、感じられたことでしょう。
3次元、御苦労さまでございます。
拝受、了解いたしました。
草原、満点の宇宙星、わたくし達の分も存分に味わい、3次元で
あっても、大宇宙の営み・厳しさ美しさ、素のままに直後に
お伝えくださること、楽しみにいたしております。
自信と謙虚さそして感謝のバランス姿勢を忘れず、またなにより
一番、松戸での衣食住生活のささやかなひとつ、ひとつ、ひとつ、
ひとつのこと全体で進化され、
それが秀大宇宙の奏でる音を輝かせることを祈っております。

合掌・虚空光

・・・・・
以下はまた別に、7日アップした皆様宇宙からの内側からの
メッセージを。
ご自身の階梯に合う方、、何度でも何度でも心読くださいませ。

あなたの意識は今、どうでしょうか。
内なる神を顕現するように
その意志を実行したいでしょうか?
信頼よりも怖れが大き過ぎて、無意識にその代償が大きいと、
不安になることはここの世界の人々にはよくあることです。
ですから、信頼を育て続けることです、ゆっくりと確実に。
もちろん、わたくし(つまりあなたの中の偉大な方・すべての源)
はあなたに、すべてを要求します。
あなたはあなた自身で、差し出すことを繰り返し、その本当の
悦びの道を感じ取って行くのです。
慈しみの心、つながりが見える感謝の心で自由に奉仕する繰り返し
の中でその先に、それまで以上のものが返ってきます。
あなたがふとした気づきと気づきの一瞬の隙に、物質次元だけで
いつものように計算し捉えた時にのみ、その代償がある、代償が
大きい、と錯覚してしまうのです。
それが、すべての過ち・少し進んでも永遠と繰り返してきた
後退のもとです。
返ってくるものの大きさ、悦び、自由の大きさを知った時、
与えることはそれ自身が即ち求めていた愛であった
とはっきり知るでしょう。
求めていたすべてが来ること、ですから半端に内なる仏性・
神のことを行なうことはできません。
いままでの概念に執着しなければ宇宙すべてはあなたのもの・
あなた自身なのですね。
宇宙の源泉から必要なものはすべてあなたに与えられるでしょう。
わたくしからわずかな何もまったく与えられない、と思えても
“だからこそ“
わたくしを愛し、無私の心でわたくしと共にすることで、
なにものでもない無限空間の自由から、最後にはすべて与えられ、
必ず祝福されるでしょう。
霊的な豊かさを、見えるレベルの損得勘定(無意識に意識の隙間
にあっという間にやってくる愚かな怠け心)ですぐに台無しに
しないよう、ご自分の側の意識に一秒一秒ご注意ください。

静寂の中しっかりと気づき過ごせば、もう、すでに、太古から、
この上なきものはあったと気づくでしょう。

・・・・・

あなた様を含めすべてをすべてとともに愛しております。
目を閉じれば見える大自然大宇宙のパノラマの中で、
さらにはその先の虚空の中でゆっくりとおやすみください。光

(敢えて、最高のレヴェルから少し落とし、表現いたしました)

2012年08月18日

毎日が愛・LOVE Forest

なかなか、ラブログ作成にたどり着けませんが、
平安にお暮らしですか・・・

・・・・・

自分の心の問題を周りの方のせいに、状況のせいには
していません。
安らぎは違う場所に行けばあるのではなくここに在ると
知っています。
自分のしている呼吸からすべてのことに満たされています。
人生はスムースに流れています。
大きな問題が常に押し寄せることはもう在りません。
世界に平和を感じ(ようとし)ています。
生活に心充ち(ようと心し)ています。
人と調和し仲良く、しずやかに過ごしていく生活は
ここに在ります。

・・・・
このように、答えられるようになっているでしょうか。
宣言していく御心に、心鍛えられているでしょうか。
ふと、問題が押し寄せてもすっと、内側奥深くに平和がいつも
あることを思いだし、すぐにバランスできるような者に近づ
いているでしょうか。。。または、そうなっている。
ご自身の中に平安は毎瞬あることに気づけば、何とも
戦うことはありません。
宇宙をありのままに受け入れる愛を高めれば、常に平和
ですから。
完全な調和(またはそれに近い者)それ自身となったものの
平和を崩すことは誰にもできません。
周りの意識を慈悲深く想いやり、流れるだけです。
ユーモアあふれる3次元を見つめる者になり、
暮らしましょう。

すべてをすべてと共に愛しております。

虚空光・小峰弥夏

PS・・・たくさんの方からのお便りや、差し出しもの、
  わたくしをお慕いくださる心に、ベストな瞬に日時に
  物質次元的に答えられずありますが、いつも、大きく
  波動にて答えております。
 (この場を借りて、いつも近くに居られる方に一言、、、
  由紀子さん久しぶりのサムに悦びの責任感じ、素のままに、
  すばらしい総慈ぶり、そこに見える智慧や慈悲慈愛・平常心
  に感動いたしております。いろいろ、継続しつつも“卒業”
  です。大きな施しにすべてに代わり深謝。
  静さん、昨夜はしっかり、夢でご一緒いたしました。総慈
  サム参加へのポジティブ表明も“あなたの内側から”
  わたくし、嬉しく思っております。
  直美さん、本日は個人にて、言葉超え過ごせ感謝、また、
  様々な施し、つなげていきますね。新宮市からのはるばる
  お母様、つるまいひかり瞑想ヨガへ参加に導き下さり剛
  先生、感概深いものがあります。先日の個人指導では
  千恵子さんのこれまでの人生に感じるものがありました。
  理恵さんの深いお心や成長、そこから自然に人々が教室に
  どんどん導かれてくること、驚きを持って2012の絆、
  感じております。純粋性の深さが素敵です。Mさん、連休
  ・本日土曜は3次にお幸せでお自由に在られるよう、静か
  〜にお声掛けせず、おりましたが、如何でしたか。
   Tさん、Rさん、Mさん、Nさん、Kさん、、、書きき
  れません((分離はやっかい^^))が、愛智、東北
 そしてすべてに感謝と、愛を。。。)

2012年08月13日

それぞれに、すべてが慈悲のチャンスです。

弥夏先生へ

 先日は鶴舞教室グループレッスン前のサム参加から禅・瞑想
クラスまで、長時間にわたり微細に微細にわたくしの在り様を
慈悲の御心で寛容に受け入れくださり、お導きいただき
ありがとうございます。

 先日は予定の時間より早く到着し、先生からお言葉を頂いた
ように心身を調えなら外で先生をお待ちしている間、ゆきこ様への
想いが湧き上がりました。いつもゆきこさんは、誰よりも早く
教室に入られ、いつも変わらぬ凛としたお姿(そのお姿がとても
自然体)で暖かくその日集うサンガの皆様を迎えてくださっている
ことに改めて感謝の心が湧き上がりました。
ありがとうございます。ありがとうございます。

 初めてのサム参加、禅・瞑想クラスを終えての気づきが
ありましたのでご報告させていただきます。

 サム参加からグループレッスンの間、先生から一つ一つ
慈悲慈愛の御心で丁寧に伝えていただいたことを、きちんと
こなさないといけないという意識に縛られて行っておりました。
そのような状態にいるわたくしは、常に外へ外へ意識が向かって
いることに気づきをいただきました。
常に心がざわざわしており落ち着かない状態、まさしく分離状態
にはまっておりその時はそのことにも気づいていない
状態でした。
その状態は瞑想クラスに入ってからも続いており、先生から
慈悲の御心で微細に丁寧に伝えて頂いているお言葉が私の中に
入ってこない、そうすると必死に言葉の外側を追い求めるという
状態のサイクルにはまっておりました。

先生が最後に「初めての場は緊張されますね」と言って
くださった時、わたくしは緊張している自分に気づいておらず、
そこで初めて緊張していた自分に気づき始めました。
わたくしは、極度の緊張をすると心・身体を麻痺させ感じない
ようにする習性があります。その自分に気づき、改めて先日の
自分の在り様を少しづつですが、見つめ直すことができました。
(以前のわたくしはこのような状態に陥るとわからない、と
言って心が怠けておりました)
  
 先生がいつも伝えてくださっている、「1秒1秒に成功する」
ということの大切さを痛感しております。
本当にいつもわたくしのどの様な在り様も受容し、丁寧に
導いてくださり心より感謝申し上げます。
また共に学ばせて頂いているサンガの皆様に感謝申し上げます。
 ありがとうございます。ありがとうございます。 

 慈悲慈愛深謝 田中まさこ 


・・・・・
由紀子さんへ、サンガへあたたかい心ありがとうございます。
すべての方々がわたくしの鏡であり、本来のところでは
わたくしが師、通ってくださっている方々が生徒、という分離は
ないことを何万回でも強調させていただきます。
高次なるとことでわたくし達の本質は、ただひとつ。
・・・さて、昨日からはさらに、すべて、ひとりでこなす状態が
発生しております。まさに、最近の気象の通りの大変化。
さらに自信をつけて行くために、宇宙がくれる最高のチャンスを
見逃さず、、、今日は昨日よりさらに淡々と独りサム。しかし
そこには、いつもアシスタントくださって来た愛する数名が、
わたくしの内側に存在しており、ソウルでご一緒です。
3次元的に独りですが、一秒一秒できることをやりきるだけ。
3人のアシスタントそれぞれ、事情はばらばらにお休みされて
います。最高に幸せな事情のあなたも、また、あなたも、連休を
ゆっくりね。その中に学びをどうぞ。

鎮魂ハタヨガす.jpg

土曜の、2012、大震災より少し落ち着かれての初めてのお盆
の東北へ、また、支えてきてくれた皆様の肉体へ
”鎮魂といまはまだ肉体あるものへのハタヨガ・キャンドルナイト”
という全身全霊で、あるもの亡きものすべてへのプチイベントは、
無事終えました。
7年で初めての試み。
”心を全体に込めながら自己肉体を愛し、しっかり動かすこと、
また休むこと、素晴らしい誘導でした!新しい氣付きをありがとう
ございました!”・・参加者からはそんな感想をメールくださっ
たり、皆様の優しさ、肉体と言う道具通しての悦び、新しい智慧
にもこちらも触れることが出来ました。(また、たくさんの
義援錦((あえて錦の心を現わしたくなりました))も
とても自然なかたちでお預かりいたしました。深謝。)
とにかく、”わたくしの芯・使命に何らぶれはなく”、変わりは
ありません。

3次元で高次に気づき下さり、虚空に気づき下さり、愛に満ち、
執着なく自由に豊かに暮らされますよう。。。
すべてをすべてとともに、愛しております。

虚空光・小峰弥夏

2012年01月27日

籠の鳥より川の鳥・自由宇宙の鳥

IMG_1900.JPG

誰もにある自分の自由に、あなたも気づいていますでしょうか。
“自由である”と少しも(少ししか)気づかず、
人間に飼われた小鳥のように
籠の中でわずかに動きまわっているのではありませんか。
人間の制約は開けられることのない籠のようなものです。
もしそうであるならば、
やはりあなたは自分の精神の宇宙的自由に気づく訓練を
まずするべきです。
すでに持っている自由を受け入れる訓練です。
そのように継続し自分を正しく用い、やがては自由と“一体”となるのです。
ここの世界はそうしたものです。

縛られぬ心には羽根が在ると気づかぬまま、ですから、
自らあえて自分を縛るような生活を選び、
一生をむなしく終えることになります。
わたくしたちは、認識したものを受け入れられるようにできています。
一秒への気付きは自己の自由認識やまたは自由の拡張に役だちます。
あなたが思うほど障害などなくチャンスは平等に差し出されている、
そのことに気付きなさい。
訓練はやがては迎える
“さらなる慈愛ある自由”のためにだけにあります。
まずはすべてを受け取らなければなりません。
今すぐにあなたの自由飛行への切符を予約してください。
認識を変えれば、籠はもともとなかったと悟るでしょう。
あなたは霊的に自由であることをはっきりと認識するでしょう。
これから3年後5年後も、
飛んで行けるのに自分が自由であることに少しも気がつけずに
居るのは誰でしょう。
サンガで在るあなたがたは、そういうことのないように祈ります。
ひと飛び ひと飛び・・・

・・・・・

一秒への気付き・時間や収入は絶対的に自分のものという
思い離れた様々な奉仕・瞑想・呼吸認識・適度な整体運動・・
これら5つのことの継続はいかにも不自由・つまらない・
めんどうそうに見せかけるトリック付きですが、やがてはその
明け渡しの実践が自己宇宙を拡張し、そのことを認識できるようになり
差し出されている自由をいまより存分に使えるようになります。
ひと飛びひと飛び(いつもでいう、一歩一歩一秒一秒ですね)

いつも、すべてをすべてともに愛しております。

光(小峰弥夏)

PS 光輝く(またはそうありたい・なりたいという)こころで、
今日も長時間の作務ありがとう、アキさん。
それを支えてくださるご家族にもいつも感謝いたしております。
(帰ると甘えてしまうとおっしゃっております^^)
皆様もどうぞ、しずやかにさわやかに、どこかでいつも。。。

(写真*自由なる美しき鳥・かわせみさんラブログへの
  おことば、ありがとうございます、
     心上を向いてさらなる心身柔軟に向かう哲也さんへ。)

2010年08月24日

作務からのおことば

こんにちわ。
皆皆様日々の物事の感じ方、ひとつひとつのことを、
学びに自ら変えながら過ごしていらっしゃるでしょうか。

教室の清潔さを隅から隅まで支えてくださるお弟子様から、
メッセージです。

調った教室での作業には、余分なことはひとつも在りません。
すべては使わせていただく宇宙空間。または必要なもの。
掃除や様々なサムとはそう知って、物事と関わること。
お弟子様とはそうして合理的に
真摯な時間・空間をまたは意識を、
レッスン以外も善へと禅と、全へと、彼らのいつかの
独り独立への、全的学びと、、、
ご一緒させてもらえています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


わたくしは先日のブログを拝見し、

「もろもろの教えを常に読み聞き、独り実践し、
心を調御することは、 慣れてくるまでは不快なことも多い。

いままで、こころ込めて気づかなかった
自身の醜(みにく)い部分を、まざまざと観る工程であるから。」

というお言葉を読んだとき、
物質世界での瞑想修行である掃除という行いが
とても分かりやすく表現されている文章だと思いました。

(もちろん、全てはつながっていますから、
当てはまる事象は掃除だけに限定される訳ではありませんが。)

LOVE Fのレッスンや教室の書物の中から、
さまざまな教えを学んで、
掃除を真剣に浄化の楽しみに変え、
始められる方も多いと思います。

掃除も真剣に行うと、綺麗に整理していくまでは、
大量のごみが出て、片付けも大変で、
不快なことも多いはずです。

しかし、これらのものがどのようにして
これほどまでに溜まっていったのかを思い返してみると、
今までに自分が必要だと思い、
買い集めた物や取って置いた物は
自分の見栄や欲、他者と比較する心など
自分の醜い部分の心の表れだと気がつくと思います。

また、それら多くの物質で埋められている空間には、
塵やほこりもたまっているでしょうし、
虫が湧いていることもあるでしょう。

休みの日には外側に楽しみを求め、
外出ばかりしていれば、
窓のサッシや扉や壁の汚れなど細かな箇所には目が届かず、
汚れがこびりついている場合もあるのではないでしょうか。

そんな汚れを取っていくのは、
目を背けたくなることもありますが、
心を込めて磨くことで感謝と悦びが湧き上がってきます。

窓や壁、扉があることで
雨、風、騒音、寒さや暑さが防げていることや、
トイレ、お風呂、洗面があることで
自らの肉体も清潔に保てられること、
もっと細かく見ていけば、小さなねじや釘ひとつにも
支えられていることに気付いていきます。

また、作ってくださった人々や、
材料となる資源を作り出してくれた自然にも
感謝とつながりを見つけることができます。

自分の身の回りの空間を掃除していくことは、
心の浄化と必ず繋がっています。

見たくない、見過ごしたい部分もありますが、
そのような汚れも良いとか悪いとか判断することなく、
事実をありのままに受け入れ、
どうすれば元の状態に戻せるか、
今どうするべきかを考えるだけです。

ヨガのレッスンでも同じように
教えていただいていると思います。

自分の醜い・見にくい部分を見つめ、向き合うことは
多少の苦しみを感じますが、
周りとのつながりに感謝と悦びを見出し、
自身を赦し、認め、全てを平等に見て、
愛していくことで全てが平安なワンネスの状態へと
近づいていけるのだと思います。

そしてまた、綺麗にしてもまた汚れていく事実も
認めていくという“無常”を受け入れる柔軟な姿勢も
掃除によって身についていきます。

皆様も心の浄化(瞑想ヨガレッスン)に合わせ、
物質レベルでも瞑想行となり易い掃除を
皆様の生活スタイルに合わせ、
バランスをとりながら少しずつでもお続け下さい。

少しずつ、自分自身の生活が、職場が、学びの空間が、
自分の手により清まる爽快さ、
そして何よりも清潔さの常日頃の“維持”、
その実践のよる自信、感謝、悦び、役割の維持・広がり
踏むべきステップを味わってください。
そこは、一過の旅先ではなく、
毎日毎週、
縁あった仲間と過ごす宝のような場所なのですから。

サンガより

・・・・・・・・・・・・・

ありがとうございます。
すべてとともに、みなさますべてを愛します。















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