ありがとうございます。
はじめての方も、いつも訪ねてくださる方も、
この一見、とても地味で、難解(かもしれない)
記事をお読みくださること、
心開いて、わたくしどもの伝えたいことに対して
向き合ってくださること
その智慧とご慈悲に、いつも感謝しております。
さて、このたびは、少し物質次元のことに寄り添って
みたいと思います。
当教室では、瞑想ヨーガや、瞑想を通して、
(最終的には)覚醒を目指すため、自己を探究し調えて
いくことをお手伝いさせていただいております。
生活そのものを瞑想的に変容させる「生活ヨガ」も
その大きな柱の一つです。
瞑想LIFE。
師や仲間と作務をご一緒することは
そのための、大きな学び、気づき、成長のチャンスとなります。
(基本は、一人です。ご自身の生活そのものが
素晴らしい学びの場です)
(高らかな智慧をお持ちながら、全体を包みこむように
いつも謙虚にあってくださるサンガ。
全き純粋性でいつも作務に向き合っておられます。
尊謝)
先日は、森の教室のお庭の雑草を抜かせていただく
という作務をご一緒させていただきました。
どれが抜かせていただく草なのか、
どれは残しておくのか、
昔、「花ごみゼロ」のお花屋さんをされていたこともあり、
植物を愛する(お詳しい)小峰先生に教えていただき
調えていきます。
印象的だったのが
既に、穂(種)をつけた草についてのご説明でした。
『この草は、残しておくと、種が飛び、また増えてしまいます。
それはご近所にも飛んでいきますから、
抜かせていただきます。実をつけていらっしゃるのに
申し訳ないことですが』
お恥ずかしながら
わたくしは、我が教室のお庭のことしか意識しておらず
種が風にのって広がること、お隣のお庭への影響まで
師のように意識を拡げておりませんでした。
(智慧ある方は、いつも、どんなことにも
因果を見出しておられるのです)
そして、その草が、子孫を残そうとしていることに
対する慈悲。殺生するということ。
(また、在り方は、姿にも表れますね。
わたくしが立ったまま、
片手で草を抜こうとするのとは違い、
小峰先生は大地にひざまづき、
両手で優しく草に手を添えられる。
その所作が、なんとも美しいのです。)
ほかにも、
あちこちに生えているまた別の草について
どういたしましょうか、とお聞きしたとき、
『これは、春先にとてもかわいらしいお花をつけて
(わたくしたちの目を楽しませて)くださるのです。
でも、とても繁殖するのも事実ですので、
中庸に抜かせていただきましょう。
たとえば、通り道にあり、生徒様が
ズボンのすそをその露で濡らしてしまう場所などは。』
もう、長いこと、先生とご一緒させていただき、
先生の在り方を学んでいるわたくしですが、
この日は、改めて、
師の在り方「100%、自・他のため、そして中庸」な
智慧に、感銘を受けた次第です。
ああ、やはり、悟られた方というのは
わたくしたち衆生とは異なり
このように無意識の「自己都合」から、
完全に解放されているのだ、と。
そしてこれは、植物に対してだけではなく、
一事が万事、師は、このように在っておいでです。
人間(生徒様、お弟子様、肉親、パートナー、
ご近所の方、お店の方、・・・)に対しても、
無機のモノに対しても、
目に見えぬもの(空気、微生物、宇宙人?・・・)に対しても、
何の例外もなく、一切の平等、慈悲を貫かれています。
もうそれは、ごく自然に、当たり前に。
そんな、真にリラックスし、
愛と慈悲に充ちた師の後ろ姿から
「なんと、わたくしたちは不自由なのか、
もっと、わたくしたちは、自由になれるし、開放できるのだ、
それはいわゆる世間的なベクトルとは真逆の方向で」
という、言葉なきメッセージを受け取るのです。
小峰先生は、そうして、「当たり前の生活」を
変容させていくこと、そのことによって、
本当に自己を赦し解放し、
悟りに向かっていくことができるという真理を
身をもって伝え続けてきてくださっております。
・・・
このように、真理への道筋には
文字だけでは、伝えられぬことが、たくさんございます。
(実際、本当のことは、言葉では伝えられません)
このブログや、各所に置かせていただいている
教室ご案内をお読みになり、
何か直観で感じられた方は、ぜひその直観を大切にされ
当教室をお訪ねくださいませ。
空を知り、慈悲に充ちた師、
純粋なサンガが、執着なくいつもお迎えし、
あなた様(というわたくし)が
悟っていくことを、
悦びでご一緒させていただいております。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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